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ウブドより愛をこめすぎず 第19話

街に響く音

「南田さんさ、休み終わってからさらに変だよね。」「ほんとよね、一体なにがあったんだろう。ウワサじゃ婚約者に逃げられたとか聞いたけど。あんた聞いてみたら?」「いやーその勇気ないわ私。下手なこと聞いたら傷ついちゃいそうだもんあの人。」 「おーい手が止まってるぞ~、噂話してないで仕事しろー。」「店長は聞かないんですか?なんか妙に落ち着いてるし肌まで黒くなって。」「旅行に行ってきたらしいけどね。それ以上は言ってくれなかったからなあ。ほれテーブルふいてきて。」昼過ぎになって客足は落ち着き、厨房では夜の仕込みが始まっている。さして大きくないこのカフェでの噂話は否が応でも耳に届いてしまう。しかしそれを気にするふうでもなく南田は黙々と食器をそろえている。バリ島から戻ってまだ数日。粘りつくような湿気と頭まで沸くような暑さが記憶に生々しい。
 日本に戻ると環境が違い過ぎるせいか、バリでの出来事が別次元のように感じられる。カフェを開くと旅立ち、あの時起きた様々なことが本当にあったことなのか、どこかで読んだ話だったのか、はたまたただの妄想だったのか境目が曖昧になる。帰国の際、宿から空港まではプトゥが送ってくれた。ドライバー代を渡そうとしても受け取らず、しきりに謝罪を繰り返すのでその頃には逆に自分の方が申し訳ない気持ちになっていた。本当はよかったのだ、あのまま店をはじめなかったことは。何かを見落としたまま、目をつぶったままに動き出したことは悪いことではない。けれど、こうであってほしい、という願望と直感とは微妙に食い違う時がある。今回のことがまさに自分にとってそうだったのだろう。ひどいことばかり起きたような気がするバリ滞在だったが開き直りでなく、なるようになったのだと思った。
 夕方になり、早番の南田は帰路へとついた。店を出たところで携帯を取り出してみるとメッセージが届いていた。“日本の暮らしはどうですか?こっちはあれから大変だぞ。俺のプロポーズ屋にお客がこない。このままでは飯が食えなくなりそうなので早く一緒にカフェを始めてみないか!お金をたんまり持ってきてくれ。たまには俺も美味しい思いをしたい。”久々に届いた南国からの便りに思わずにやけてしまう南田。いつもは店を出るとすぐに駅に向かうのだが今日は街中をゆっくりと歩いてみた。夕暮れが過ぎて町が完全に暗くなるまでのわずかな時間、色とりどりのイルミネーションがそれを迎えるかのように点灯し始める。ウブドと違ってここには大勢の人間が歩いている。南田は飛行機の上から眺める夜景が好きだった。灯る一つ一つの明かりがすべて誰かの暮らしのもとにあるのだと思うとなんだかホッとするのだ。横断歩道の新号が青に変わるとおなじみの音楽が聞こえてくる。そういえば少しお腹が減っているかもしれない。南田は駅前のベーカリーに立ち寄ってコーヒーと小さなチョコパンを購入し窓際の席に着いた。ガラスごしに見える人波を眺めながらミノルへと返信を打つ南田。“必ず行きますよ!お金はないですがww美味しいもの持っていきます。南田”どこからかガムランの音が聞こえてくる気がした。

おわり